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千葉県長生村

決意と計画、実行した道の先に
“自由”と“幸せ”が待っていた。

Interview with 板倉 大輔さん
トマト農家

千葉県九十九里町出身の40代。生まれ育った九十九里町で会社員として働き、40歳に退社。農業大学校に通い、トマト農家として長生村で就農。2021年から長生村に移住し、トマトの水耕栽培に励んでいる。農業は体力がいるだろうと始めた筋トレは、今ではいいリフレッシュにもなっている。

脱サラして就農移住がしたい。未曾有のパンデミックを経験し、働き方も生き方も変わるなか、こんな思いを抱く会社員は確実に増えている。そんな憧れを叶える人の数も増えているが、成功する人の数は…、いかばかりか。2021年、長生村に移住した板倉さんも、脱サラ就農移住者のひとり。会社員時代より、今の生活が好きだと語る。その笑顔の理由とは?

「35歳のときに、会社を40歳で辞めようと決めました」 中間管理職として働く日々は、やりがいよりも辛さに軍配があがり、人生を変える決意をさせた。長年興味をもっていた農業で生きていこうと、退社後は農業大学校に入学することを決めた。計画が決まったら、あとは実行に向けて、貯金に体力づくりに励むだけ。目的のための節約は苦ではなかった。

40歳で退社し、農業大学校でトマトの農法を学ぶなか、長生村への移住につながるできごとが起こる。長生村でトマト栽培のハウスを手放したい人がいる、と学校に情報が舞い込んだ。九十九里町出身の板倉さんにとっては、願ったり叶ったり。ハウスの持ち主と会うことができ、なんと賃料不要の利益還元という就農初心者にはうれしすぎる条件で、ハウスを手に入れた。「こんなラッキーは、そうそうありません。ハウスの持ち主はもちろん、役場のみなさんも親身になって相談にのってくれ、調整してくれたおかげです」と当時を振り返る。

晴れてトマト農家となり、九十九里から長生村に通っていた板倉さんに、さらなるラッキーが訪れる。ハウスを手に入れたときにお世話になった役場の方から、空き家があるから住まないか?と声がかった。家と仕事場(ハウス)を往復する日々は、あの頃とは全く違う。「毎日大好きなラジオを聞きながら、誰に気を遣うことなく、自由に働いています」と笑顔の板倉さん。就農移住者になった今は、やりがいのほうに軍配が上がっているようだ。

35歳の決意からブレずに進んだ1本道は、長生村に続いていた。ひたむきな思いが、運や縁を呼び寄せ、静かにひとりトマトと向き合う幸せな日々に導いてくれたのかもしれない。